(株)斎藤模型

『我、思う故に我在り』 自分の存在している証というものは、
自分が考えていることそのものである。
日々、思い、感じたことを言語化するということは、
自分を客観的に見るという意味でおもしろいのではなかろうか。
そして、それがある程度は公的な場であるということで、より整理されていくのではないか。
自己満足的で、自己処理的なブログというメディアに参入する上での宣言文。
平常心をモットーに生きる。
連絡先は saitomokei@hotmail.co.jp
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モロッコミュニケーション
モロッコ人とかエジプト人は
いわゆる携帯のワンギリをするらしい。

これは 嫌がらせとか 電話かけろの催促とかではなく

元気? とかの軽い挨拶代わりなんだって
そしたらこっちも ワンギリ返して 元気だよ! みたいな。

これだと お金かからないし あまりお金ない人たちは
けっこうやっているみたい。

自分なんかは けっこうステキだなあ とか思って、
電波は使うけど 料金は払わないで コミュニケーションとるあたりとか
アナーキーでかっこいいし、
何でも コミュニケーションのツールとしてうまく使う
モロッコ人らしくて好きです。

でも、寝てる時やられると むかつくんだよなあ。


23:59 | 旅(モロッコ編) | comments(1) | -| - |
旅の終わりに
マラケシュに着いて、少したってから

あっ、終わりだ。と感じた。

それは あまりにも突然にあっさりとやってきた。


自分なりに 考え、判断し、時には惰性で続けてきた旅。

僕の人生のある時期で ある程度の期間やろうと思い、始めた旅。

始めた理由はいくらでも捏造できるけど 本当は感覚だけであった。

それは 今後の人生に絶対的に必要なのだという確信。


旅は 素晴らしく魅力的だが

そこに生活を結び付けることは難しく

ある種の幻想とモラトリアムである危険性も感じていた。

そんなときに 旅はもういいかなと思ったのである。


マラケシュに来たときの気持ちをコピーにすれば

気分はもう大丈夫。 

僕の心にあった ふたが全部取れたような感じ。


モロッコであったのは 必然か偶然かなんかわからないけど

そんなときに ものを考えたりつくったりする

出会いと チャンスがあった。

やるしかないでしょう。


こうして 人生はシフトしていくのだろうと思う。

当たり前のことのように。






おまけ情報。

六月の中旬をめどに 日本に帰ります。
みなさん仲良くしてください。
23:59 | 旅(モロッコ編) | comments(17) | -| - |
砂漠のネコ
砂漠に行ったときのこと。

お世話になった 砂漠の家には猫がいた。

猫が 目の前をよぎったので しばらく 動きを見ていると 
ふらふら歩いているように見えて
そこに いろんな因果がからまっているようで。

歩く場所、休む場所、食べる場所。
きちんとした理由がありそうなのである。
立体的な 空間条件はもちろん
視覚とかだけしゃない 感覚ももりだくさん
さらには 温度や空気の状態みたいなものにも気を使っているようで、
そして気分。
ここにも重きをおいているようで

猫はあらゆる距離のとり方が上手いと思う。

仲間とも、人とも、自然とも、自分とも
詳しくは しらないけど 猫って死ぬときは
ひっそり 自分だけで死のうとするらしく
そういうのも含めてすごいな と思うのである。

人とこれだけ関わっていても、自足的生活。

自我ある我儘。

最近は あらゆる趣向が
ネコてきなものへ シフトしているかも。。。

23:59 | 旅(モロッコ編) | comments(3) | -| - |
ヒトとイヌとラクダとネコとロバとヤギとニワトリの生活。
ついにというか、とうとう サハラ砂漠に行ってきた。
星の王子さまがいた あの砂漠。
どうやら相当でかいらしい あの砂漠。
ムチャクチャ暑いらしい あの砂漠。
具体的なことなんて 何も知らないものだ。

そして そこの砂漠に住むノマドの民の家での生活。
ヒトとイヌとラクダとネコとロバとヤギとニワトリの生活。

もちろん お金とか世界の情報のことも入ってきてはいるのだけれど
基本は自給自足、自然とぶつかりながらの共存生活。

夕日を寝転がって見てから 
十時間もして首を半回転したら朝日がある。
どっちも地平線。

すごいすごいと聞いていた砂漠。
砂漠は砂漠でしかないと思うし、それ以上でもそれ以下でもないのだけれど
やはりスペシャルだった。

天体や宇宙を 否応なしに感じさせられる
スケール感、時間の流れ、シンプルな構成。
砂だけで構成され、美しく、移ろいゆく 砂丘の形、ライン。
嘘が見当たらない。

なんだか 言葉で表していくとつまらなくなってしまうのだけど、、


なんつうか 自分が裸になっちゃう感じだった。
あらゆる感覚が研ぎ澄まされて 溶け出して
本能とかが もりもり顔を出してきて、、

少し 生物としてかっこよくなれたと思った。


23:59 | 旅(モロッコ編) | comments(3) | -| - |
円を信じますか?
円高は続くのでしょうかね。
ドルに変えておきたいけど モロッコではドルがおろせない。。

というのは さておき

僕が まだメキシコにいたときに とても印象的な旅人と出会った。
彼は 自転車で世界中を こぎまくり旅していた。
足掛け五年とかの世界だった。

その人が モロッコ、マラケシュにいたのだ。
一年半ぶりくらいの偶然の再会。
アメリカ大陸で出会い、アフリカ大陸で再会したのだ。
カタカナ一字で エライ違いだ。
お互い 初めは誰かわからない。
彼は僕のことを 女の子だと思ったらしい。


縁ですな。


僕は 旅人について 考える。
旅人のなすべきこととは なんだろうって思う。

旅人はエネルギーをまわす人だと思う。

世界中、自分の体ひとつで 見たこと、聞いたこと、感じたことを
次の土地で 語り また歩き出す。
すべての感情や現実を フラットに受け入れて移動し続ける。
お金や、食べ物、洋服、いろんなものを 
ヘモグロビンのように まわし続ける。走り回る。
ちょっと、時代錯誤かな、、、、


でも 本質的にはそういうことだと思う。


彼は 今日も熱く語り、目を輝かせながら
自転車をこいでいるのであろう。
彼の、まわりには よい風が集まる。


23:59 | 旅(モロッコ編) | comments(5) | -| - |
幸せになるためのアフリカ語講座
南米にいた時、
みんながスペイン語ばかりしゃべるのにびっくりした。
別に英語が通じないとかは どうでもよくて、
その土地にあった 元々の言葉をしゃべれない人が多いのだ。
(田舎に行けば、現地語もあるけど、やはり消えつつあるようで)

南米は大航海時代に
スペインの侵略にあっていたため
侵略者の言葉のスペイン語が共用語になっているのである。

なんとも不思議なものだ。
僕が言えたことじゃないけど、なんだか寂しい。

今いる アフリカ大陸だって
北部はフランス語圏内だし、英語圏も多いらしい。
自国の言語をもっているということは 珍しいということを
あまり知らなかった。

みんなが同じ言葉は 便利だけど なんだか寂しいなあ。
それよりも 侵略者の言葉を使わなければならないというのはなあ、、

日本語ってそういう意味じゃ、独特だし、
表現とかも、とても素晴らしいと思うんだよなあ。
もう少し ありがたみをもって使わねばと思うのでした。


23:59 | 旅(モロッコ編) | comments(5) | -| - |
意図アル糸
人のつくる 
ありとあらゆるものは
とどのつまり
コミュニケーションのためではないか、
と思った。

なんて 寂しがりやなんだろうか。

そして、結局は ツールでしかないのである。

そうであれば 
そこに罪はなく 使い手しだいであり、
武器にもなりうるのだということ。

自分で試して、自分でより分けることが重要で
その時の流行の集合体でしかなく、それ故の無責任さを持つ
世間には 惑わされてはいけないのだと思う。

くもりなきまなこ で見定めるということ。






おまけ




サングラスも



使いよう。




さて、僕はどれでしょう?
23:59 | 旅(モロッコ編) | comments(4) | -| - |