(株)斎藤模型

『我、思う故に我在り』 自分の存在している証というものは、
自分が考えていることそのものである。
日々、思い、感じたことを言語化するということは、
自分を客観的に見るという意味でおもしろいのではなかろうか。
そして、それがある程度は公的な場であるということで、より整理されていくのではないか。
自己満足的で、自己処理的なブログというメディアに参入する上での宣言文。
平常心をモットーに生きる。
連絡先は saitomokei@hotmail.co.jp
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マチュピチュ在る故に
お蔵入りの記事を今更 後悔 ではなく公開。

マチュピチュにきてしまった。
もったいなくて どこか後回しにしていたマチュピチュ。
それは 大好きなおかずのような感覚。

そして マチュピチュは普通に在って、そこに僕も普通にたどり着いた。
まあ それだけのことではあった。

残念ながら電撃が走るとか お告げをうけるとかは皆無であった。

だけど そこには不思議な感覚もあって

僕が 空気とか温度とか もっと自分と別物だと思って存在しているものが
実は 自分自身とこんなにも関わりがあったことに驚いてしまった。
自分が在って 同時に平行に それらも在るんだけど
それらが在る故に 自分も在るという感覚。


普通に言葉にすれば 当たり前のことなんだけど
日常的な感覚でここまで 意識したことなかったから

それは とても新鮮であり 驚きでもあった。

にしても

マチュピチュって これだけ有名で
期待されていて 写真も腐るほど見ているのに、、、

やっぱりすごい。






写真は マチュピチュの警備員さん


(ウソ)
23:59 | 旅(南米編) | comments(2) | -| - |
南米備忘録
日記がおいつかないので
データ上の 抽象書き。殴り書き。箇条書き。
だって ネット代高いんだもん。





・山を登っていると、ちょっとした高さの差でも
 景色が全然違うことに驚かされる。
 そして、高ければいいってことばかりでもない。
 その高さでしか見えない場所や、かたちもある。

 これって おもしろい。
 たまには 立ち止まって 少し下るくらいの余裕が大切かも。
 もちろん、ありとあらゆることに。





・裏をよんでばかりも いやだけど。
 何らかのリスクなしに リターンはないと思う。

 楽そうに見えるのには それなりに訳がある。
 苦労というのは ありとあらゆるパターンがあるのだろうと思う。

 あと、ぼったくりには気をつけましょう。





・あらゆることは有限だということを忘れないでいたい。
 人間はすぐに勘違いをするようだ。
 空間も、時間も、お金も、エネルギーも、肉体も、
 
 あらゆる場面で 決断しないとだめだと思う。





・見切ることの重要性。
 これは 見限るとか、見捨てるとか そういうニュアンスじゃなくて
 判断すること。
 自分の物差しで 決断すること。
 そうしないと、あとでめんどくさくなったり、つまらなくなる。





・インターネットでなんでも分かる時代という。

 確かにたくさんのことが分かると思う。
 でも、その実 全然わかってないことや 伝わってないことも多々ある。
 あいかわらず ぼくらの先入観ではアフリカは動物と民族の世界だし
 アフリカから見た 日本は 工場しかないブルースリーとジャッキーの祖国だ。

 そして 本当に人が知りたいことはなかなかそこにはない。
 というよりは、本質は見えにくいのだろうし
 そういうことは 時間や苦労が伴わないと
 知識は得られても、理解できないのであろう。





・日本では、満天の星空なんか なかなか拝めなかった。

 まあ、南米でもそんなに拝めるわけではないが
 なんどか 見ることはできた。
 
 たくさんの星をみていると 宇宙の流れを感じる。
 星の流れがあること。
 消滅すること と 誕生すること
 そういうことが あるのが 当たり前なんだと納得できる。

 こういう星の元で育ったら
 人は死ぬことをこんなにも恐れずに生きれる気がした。





・矛盾のないものは信じられない。
 というか 胡散臭い。
 と、最近思った。
 
 そもそも 生きていることからしてそうなんだし。
 
 そこのバランスを
 面白がったり、美しがったり
 ゆとりが ほしいと思う。
 
 完全なんてのは、怪しいもんだ。





・美しいとは、そのもともとのもだけではなく
 維持すること、その行為にあるのだそうだ。

 確かになあ と感じた。

 体も、建築も、町も、なんでも
 放っておけば どんどん汚れていく。

 それを 維持したいと思うこと、行為を起こすことが
 美しいのだということなのだろう。

 
23:59 | 旅(南米編) | comments(3) | -| - |
ねえ、ちゃんと旅してる?
はい。してました。
実は 二ヶ月ほど前だけど、姉ちゃんと合流して旅をしてました。
姉と旅をするのは、二回目。
意外と仲のよいものだと、我ながらびっくりする。

前回、旅をしたのは 僕が19のときで
初めてのバックパックかついでの旅。
まあ 今思うと ものすごく負担だったろうと思うのです。

でも、今回は 僕は一年以上旅してるわけだし
南米では先輩なわけで、
いろいろ引っ張って、びびらせてやろうと思っていたのです。



でも だめだった。
姉といると しっかり弟に戻ってしまう。
末っ子臭がムンムンでてしまう。
逆に いろいろ迷惑をかけたように思う。

いやー 習慣というか、人間の育った環境とか
の与える影響はすごいなあ と感じたわけで

で、このことは 他人を見てても感じるのだけど
やはり 長い時間ひたっていた 環境というのは
その人の人格におおきな 影響があるんだなあと
兄弟の構成とか、町の規模とかそんなこと



僕は ヒトという生き物は 
どのくらいの人数の単位で暮らしていくのが 
どのくらいの規模の空間で生活するのが
一番幸せになるのかなあ。
というのを見るのが この旅のサブテーマのひとつで 

そういった意味で、集落を見たり、
共同生活している農場にお世話になったり、
宿の管理人させてもらったりして、
今のところ感じるのが
(まあ、これからも一生考えていくのだろうけど)
やっぱり ある程度、ヒトは群れていた方がいんだろうなあ
と いうことであって、、、

どんなにネットや携帯やメディアが発展しようと
たくさんの直のコミュニケーションがないと駄目だと思う。
まあ、その強弱が人によって違うから難しいのだろうけど、、、

建築という媒体も もちろん重要な手段だけど
そういうことを 考えられる仕事をしたいものだと思うのです。

今は モロッコという国にいて
迷路のような細い路地の中に住む人々を見ていると
そのコミュニケーションのとりかたや、感情の出し方
やはり独特だし、面白いなあ と感じるのです。


23:59 | 旅(南米編) | comments(4) | -| - |
Life is
ブエノスアイレスにて、タンゴを見に行った時のこと。

そこで バンドネオン(アコーディオンみたいの)
を演奏するおじいさんに持っていかれた。

その おじいさんが音を出し始めたと途端、
頭の中に、Lifeという言葉がよぎった。

彼にとって演奏していることが、人生だと感じた。

踊りの舞台だが 彼の呼吸が舞台をつくっていたと思う。
とにかく楽しそうに、陽気に演奏していた。
若手を引張てる感じも、素晴らしかった。

幸福な音は、本当に人を幸せにしてくれる。

そして、彼のようなじいさんになりたいと思った。


心から尊敬の念をこめて。


23:59 | 旅(南米編) | comments(4) | -| - |
パイネ、クライネ、メロディー
  パタゴニア。





自分が行くことになるとは思ってもいなかった土地。
どういうところかも、よく知らなかったし、
(もっと正確にいえば、理解できていなかった)
それは、テレビの向う側の世界であって、リアルではなかった。





僕が旅に出る理由のひとつに いろいろな空間を体験したいという思いがあった。
それは、建築でも、都市でも、自然でも。
とにかく、自分の知らないものや、想像できないものが見たかった。
そこに行って、立って、空気を吸い込みたかった。
僕が建築を、ものづくりをやりたいと思った時に、
不可欠な体験なのだと思ったのだ。





アメリカから ひたすら南下を続け、たどり着いたパタゴニアという大地。
地球の皮膚がそがれ、むき出されたかのような氷河。
全ての生きものを否定するかのような、風のうめき声。
人間の目じゃ処理できないほど雄大な山々のパノラマ。





そこにあるスケール感はあまりにも残酷で圧倒的であり、
ナマの自然で生き続けることの困難さを痛感した。
僕は 本当の自然とはこういうことなのかと思うと同時に、
人工でつくられた都市というものの偉大さも感じた。

これは不思議な体験であった。





今、人間がつくりあげた文明が 地球の環境を大きく変えてしまっている。
それは あちこち旅していて間違えのない事のようだ。
だけど、そのことばかりを問題視して、
自分がいかに 文明に守られているのか ということ
身近なものの ありがたさに気付かなければ、
その先の問題の解決には ならないんだろうなあと強く感じたのである。

そういう感覚が大切なのではないのだろうか。

そんなことを 考えながら 僕はパイネの山を降りていったのであった。



というわけで
親しいみなさんへの不義理を恥じながらも、
新年のあいさつを、
今年もよろしくお願いします。


チリルート覚え書き
サン・ペドロ・デ・アタカマ → カラマ → アントファガスタ → 
サンティアゴ → バルパライソ → テムコ → プエルト・モン → 
プエルト・バラス → カストロ → アンクー → サンティアゴ → 
ビーニャ・デル・マル → サンティアゴ → イースター島 → 
サンティアゴ → 
パタゴニア地方へ
23:59 | 旅(南米編) | comments(3) | -| - |
モノ降るラパスに
僕は 基本的に無宗教なんだけれど
宗教があるのが当たり前の国の人たちにとっては
それはかなり びっくりなことらしく よくそのことを突っ込まれる。
まあ、そういう込入った話を 外国でするのは難しいのだけど
話さざるを得ない時もある。

そんな時は
僕はこの世の中には たくさんの人がいるように 神様もいると考えていて、
それらの神様は僕らの身の回りの モノや自然にそれぞれ宿っていると思う。
例えば それはペン一本にもいえることである。
だから なるべく日常においても ひとつひとつのものを使う時、何かが起こる時、
それらのことやものに 感謝する気持ちを持って生きるのだ。
と説明する。


まあ 大抵の人はそれなりに納得してくれる。

ふと 本当にそうかなあ と思う。

僕の身の回りにはたくさんのモノが本当にある。
世界はモノで溢れている。
僕は ひとつひとつのモノに立ち止まらないで消費してきたのではないかと思う。

旅に出てから 1年半が過ぎ
一緒に旅に出た道具たちもかなりくたびれてきた。
ズボンの穴は縫っても、縫っても 増え続け 未補修の穴が10を超えるし
靴ももう 靴屋さんでも修理してくれない。

日本にいたときは ここまでモノを使い続けたことがなかったことに気付く。


ここ ボリビアのラパスには世界有数の規模の市場がある。
そこの古着市には 恐ろしい量の服が並ぶ。
何でも アメリカからの救援物資を横流しして転売しているらしいのだが、
そこには 服には困ってないから 現金化したいという
ボリビア人の思惑があるようである。


モノを消費していく姿勢を 自分で見直す必要があると思う。
モノがあふれている結果や事実だけを憂いたりするのではではなく、自分との接し方ね。


そして それは何も服だけのことではない
あらゆる モノ、人、環境との関わり方とも言い換えられると思う。






ボリビアルート覚え書き
コパカバーナ → ラパス → スクレ → ポトシ → ウユニ → 
チリへ
23:59 | 旅(南米編) | comments(0) | -| - |
創造せよナスカ
地上絵で有名なナスカに行ってきた。
灰色の山を抜けて だだっ広い荒地に入った途端ゾクゾクする、
土地のもっているポテンシャルが違うと思った。


人間の体に 敏感だったり、鈍感だったりするところがあるように、
地球にだってそういう変化があると思う。

地球にはいろんなエネルギーが溢れていて
そいつが内部も 外部もぐるぐるしていて
それによって 僕達の住む大地や海に 変化をつくるのだと思う。
時には荒々しく、時にはこっそりと

昔の 人たちは きっとそういう変化に敏感で
また それを 内に取り込むことが上手だったのだと思う。
そして、そういう場に 聖地や宮殿、墓とかつくったのだろう。

そして、人の力や創造力が 地球とシンクロした時に
ものすごいものができたり、起こるに違いない。

この世は奇跡で溢れているのだ。



ナスカから 発掘された 土器や織物にもまた、魅力を感じる。
彼らがつくっていたものには オーラがあると思う。

本当のものづくりとは どういうことだろうか?
それは 生活の延長上であり、想像することだと思う。

人が 自然と一体となり 日常から創造されるものほど
すごいものはない。
真の芸術とはそういうことで、
生きることに欠かせないことでもあると思う。

今、世に溢れている現代アートの多くは なんてつまらないのだろうと思った。


現代人は 人が自然の一部であることを忘れているのだと思う。
なぜ故に 人と自然を切り離して考えなければいけないのだろう。


ペルールート覚え書き
ラ・バルサ → サン・イグナシオ → ハエン → 
チクライヨ → カハマルカ → トルヒーヨ → ワラス →
ユンガイ → リマ → イカ → ワカチナ → ナスカ → 
アレキパ → カバナコンデ → クスコ → ピサック →
オリャンタイタンボ → アグアス・カリエンテ(マチュピチュ) →
クスコ → プーノ →ティティカカ湖 →
ボリビアへ


おまけ



バクだって笑う。
23:59 | 旅(南米編) | comments(3) | -| - |
スペイン語圏のオウムはスペイン語を話し、魚のいないワカチナの猫はチャーハンを好む。
旅立ってから なんだかんだで一年以上たつ。
そして、なんだかんだでいろいろな人と出会って別れてきた。
いい人にも、悪い人にも、会ってきたように思う。
いろんな人と仲良くなり、多くの人と喧嘩した。

でも、どんなに大きな仕組みや、問題の中でも
根底で繋がっているのは、人と人で、個と個であって
このことは 確信を深めるばかりだ。
そして、この感覚は意外と大事だとも思う。

いい出会いも、悪い出会いも縁なのだと思う。
その縁が 場をつくり、空間をつくり、世界をつくる。
大きくなって、また小さくなって 流れていく。
とどまることなく、常にうつろいゆく。

不条理なことも、ラッキーなことも きちんと共存している
この世界で、ひとつの部分として人がいる。
砂漠というものは、そういうことをよく解らせてくれる。
自然というもの、人というもの、生き物やもののこと。


23:59 | 旅(南米編) | comments(2) | -| - |
ガラパゴスの冬男
今 どれだけの人が自分のやりたい仕事に就いて
日々 生きているのだろうか?
もちろん、好きな中での苦労や犠牲があるのは当たり前としてね。

まあ 好きな仕事と言うと 語弊があるかもしれないので
ここでは 自分がやっていることを胸を張っていえるかということ
に置き換えてもいいかと 思う。

そこで 思うのは 総理大臣て職業なんだけど

僕は 日本の総理というのは いやいあやらされている感を
感じてしかたがありません。
前の総理に決まった時も
あー なんだか ホントはやりたくなんだろうな と感じたのを覚えてるし
辞めた時も あーやっぱりという 気持ちになったし、、、、

考えてみれば 最近の日本の総理大臣はけっこうそんな 感じばかりする。
あみだくじで負けた人がやるみたいな空気。

何故だろう?

それは 国民の空気を代表しているかもしれないと思う。
仕事が嫌でしょうがないとかさ、
自分のやっている仕事が 給料とか地位とか関係なしに
誇れるとか そういうのが減ってしまっているんじゃないかと思う。

特に 中南米の人たちをみていると 日本では仕事に対して
そういう陰湿な空気を持ちがちだと感じてしまう。

では どうすればいいのだろう。

それは もう僕ら ひとりひとりが変わっていけばいい話で
僕らがそういう生き方を示していくしかないのだと思う。
そういう 空気が集まって 国や文化は形成されるのだと思う。

僕自身、人生の後輩がそこそこ増えてきて、いい歳になってきた。
文句いいたいし、責任転嫁したいけど
どんなに小さくても 自分自身で示していかなければならないと思う。

だから 仕事とかにしても、生き方にしても
小さいことだけど そういう風に感じる人が増えていくことが大切なのだと思う。

僕自身は総理ではないけど、個人として日本と関わっていきたいと思うし、
そうすれば いつかは 胸をはった総理も現れるのではないかと思うのです。


余談


ペルーに入国してから
自分が日本人とわかると みんな フジモリの知り合いかと聞く?
今日の新聞の見出しなんて
FUJIMORI VS PERU
とか 書いてあって 穏やかではない。
彼は何をして 今 どういう状況にあるのだろう?







おまけ





ペリカンだって順番は守る。


エクアドルルート覚え書き
キト → オタバロ → バーニョス → リオバンバ → 
アラウシ → グアヤキル → ガラパゴス諸島 → 
グアヤキル → クエンカ  → ロハ → ビルガバンバ → 
ペルーへ
23:59 | 旅(南米編) | comments(2) | -| - |
必然と偶然のアラウシ
旅の間は 本を読む時間がたくさんある。
寝る前に 本を読む時間が好きだ。
そして、それ故に本をよく持ち歩く。

読み終わった本は、旅行者や宿の本と交換する。
このコミュニケーションはとても好きだ。
本にストーリーがのっかる。

海外で出会える日本語の本は当然少ない。
それなのに

アルケミスト―夢を旅した少年 (角川文庫―角川文庫ソフィア)



青春を山に賭けて



成りあがり How to be BIG―矢沢永吉激論集 (角川文庫)



国盗り物語〈1〉斎藤道三〈前編〉 (新潮文庫)



普通に交換して 手に入れた。
本当に読みたいと思った時に、目の前に現れたのである。
本当に 読みたいと思っている本には出会えるのである。
確率から考えると、不思議でならない。

別にこのことは、何とでも言えることなんだけどね。


捉え方で モノの見方が大きく変わる気がする。。

23:59 | 旅(南米編) | comments(5) | -| - |