(株)斎藤模型

『我、思う故に我在り』 自分の存在している証というものは、
自分が考えていることそのものである。
日々、思い、感じたことを言語化するということは、
自分を客観的に見るという意味でおもしろいのではなかろうか。
そして、それがある程度は公的な場であるということで、より整理されていくのではないか。
自己満足的で、自己処理的なブログというメディアに参入する上での宣言文。
平常心をモットーに生きる。
連絡先は saitomokei@hotmail.co.jp
スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

| - | - | -| - |
路傍の中米
中米の旅が終わった。メキシコ、ベリーズからパナマまでの旅。
その中で 頻繁に つくる ということに思いをはせた。
人はモノをつくる。
本当にモノってたくさんある。
中米の国では みんなゴミをその辺に捨てる。
バスの窓からポンポン 山や海へ
山登りの時は ゴミが道標になる。

モノのあふれる国もあるし あふれてない国もある。
だけど、どの場所でも人は生活している。

モノがあることが 悪い状態を生み出しているのも事実なようだ。
モノを つくる仕事をしたいと思って生きてきた。
何をつくりたいかは いつも分からなかった。
それは 単純に 必要でないモノがあること、
状況を悪化させるモノづくりに加担する可能性があることへの
本能的な危機感だったのかもしれない。
また、モノを売る仕事で抱えていた疑問も関係あるかもしれない。



いろいろな場所で 気候がおかしいと聞いた。
メキシコシティでは72年ぶりの寒波でみな震えていたし、
カンクンやグアテマラでは 雨期の時期が二カ月ずれたため
通常の乾期に時期に 雨がシトシト降っていた。
季節外れのハリケーンや冷え込み
本当によく聞いた。

地球が病気なのだと思った。
人間ていう 小さい生きものが 暴れまわっているために
彼女が自分を治そうとして 熱を出し 戦っているのだと。

この間 知り合いから 不都合な真実 という映画を見た
というメールをもらった。

要するに 上述したことが
みんながうっすらと感じていたけど、認めたくなかったことが
数値化され人のスケールで視覚化される時代なのだ。



僕はある種の自分の感覚を信じている。
信じられる感覚と 信じない方がいい感覚があり、
例えば 方向感覚や金銭感覚はあまり信用していない。
だけど、するべきことや 将来への勘、人を見る目は信じる。
何か モノをつくりたいという感覚は信じる。
ただ、職人的なものとも 少し違うのだと認識している。
それは 自分の得手、不得手を客観的に見て思う。

つまりモノづくりの 肝心のモノ部分だと思う。
僕は それを状態であると最近考える。
言葉では曖昧にでしか 言えないこと
だからこそ 媒体に縛られないということも言えると思う。

モノに対して 疑念を持たねばならぬ時代で
モノづくりをすること。
理想を持って生きること。美しいものを知ること。
地球に住む以上、地球を知ろうとすること。
そんな 気持ちで 過ごした中米。
乱文ですが 思いのままに。数年後に読むのが楽しみだ。


余談

ニカラグア・コスタリカ・パナマルート覚書。
レオン → マナグア → グラナダ → リバス → サン・ホルヘ →
モヨガルペ(オメテペ島) → アルタグラシア → サン・カルロス → 
コスタリカへ
サン・ホセ →  
パナマヘ
ダビ → パナマシティ → 
23:59 | 旅(中米、カリブ編) | comments(3) | -| - |
グラナダ
初めて一人で旅をした時 夜な夜なよく空を見ていた。
星座に詳しくない僕でも オリオン座ならすぐ見つけられる。
見慣れた星座は 空がつながっていることを僕に教えてくれた。

中米を旅していると よく停電に出会う。
これは チャンスとばかりに 外へ飛び出ると、
たくさんの星が見える。

東京の空の下で育った僕には 
くっきり見えるオリオン座が、当たり前だった。
しかし、星の多い空では いかにオリオン座でも
すぐには見つからないのだ。
それだけ、ほかの星に紛れているということだ。


余談

今回の旅で僕はけっこうハガキを書いている。
そこで面白いのが 各国で値段が違うこと。
不思議だ。
しかも 物価の相場と必ずしも比例しない。
例えば、アメリカは確かハガキ一枚で90円(75セント)くらいだった。
に 対して メキシコは170円(16ペソ)くらいする。
まあ メキシコから日本に送る場合アメリカを経由するから
高くなるのはわかる。
しかし、同じくアメリカを経由するグアテマラは100円(8ケツァル)ちょい
ベリーズにいたっては36円(0.6ベリーズドル)だった。
ベリーズは日本の国内の郵便料金より安いのだ。
日本に着いてから きちんと届くのか心配だったが
無事に届いているようである。
まあ、係員がみんな適当だから 
同じ国でも 値段違ったりするんだけどね。
なんだか 面白いなあ…
23:59 | 旅(中米、カリブ編) | comments(3) | -| - |
レオン
夕日を背中に 石畳のまちを歩く。
ふと自分の 髪の毛のシルエットの変化に気づく
だいぶ伸びたなあ と感じながら時の変化を実感する。

夕焼けそらを 見ていると悲しい気持ちになる。
何が悲しくて そんなに燃えるような赤なのだろうか。

昔、読んだ本に書いてあったこと。
夕焼けをを見て悲しくなるのは、
それが一日の終わりであり、
その事が人の死を、人生の終わりを予感させるからである。と
そんなこと くそ食らえ だと思った。

僕自身が、勝手に感傷に浸って入る時、
地球の裏では一日が始まっているのだ。

父は 新聞を読んでいる時間だし、
母は キッチンにいるだろう、
姉は もう電車かもしれない。

彼は 論文を書いてるだろうし、
彼女は 学校にいるだろうし、
あの人は 仕事が一段落ついたころだろうし、
あいつは まだ寝ているに違いない。
バイクに乗っている人、二日酔いの人、
財布を忘れている人もいるだろうな。

そして 気になるあの娘は… 
寝坊でもして 慌てていることでしょう。


さてさて キーボードをさっきから叩いている
僕は 眠たくなってきたので もう寝ます。
ネットが無料の宿だとついつい…
おやすみなさい…
23:59 | 旅(中米、カリブ編) | comments(5) | -| - |
ウティラ
ウティラ島の桟橋では 漁師のおじさんが魚をさばいていた。
最近、料理に覚醒した僕には とても面白く、
興味深く観察していたら いろいろ教えてくれた。
魚の骨のこと 名前やらなんやら

おじさんは いろんな種類の魚を、瞬時の判断でさばいていく
包丁を変えたり、鱗のとり方、内臓を出す順番、エラの残し方。
そのやり直しのきかない手作業が あまりに美しく、
そういうのっていいなあ と。

アナログとデジタルってやっぱり違う。
デジタル化というのは すなわち数値化できるということで
あらゆることを データで保存できることだったと思う。

だけど、僕が思うに 僕なんかのレベルで
一番ピンと来るのは 可逆性があるということ。
つまりは やりなおせるということ。

例えば、おじさんがさばく魚はやり直しがきかない。
世の中のものはやり直しがきかない。
魚も 切ったら ふさげないのだ。
時間は一定の方向に流れ、戻らない。
いわゆる エントロピーは減少しない。

カメラでも、図面でも、イラストでも なんでも良いのだが
デジタルとアナログがある。
こういうのって 一長一短だから
どっちがいいて議論は 難しいし
せっかくなら 両方使い分ければ良いだけなんだが

ちょっと 面倒だったり やり直しのきかない感じ
なんともいえない、気持ちの隙というか、
そういう 抜け具合が大事なんじゃないかと 思った。
やはり時代は こちら側が劣勢だもん。

まあコマンドZ、コピペ多用世代なんだけど、
そっちに偏らないで 両方の感覚を大切にしたいな。

このおじさんから 買った魚でスープをつくりました。
手間をかければ やっぱりうまい。


余談

エルサルバドル・ホンジュラスルート覚書。
サン・サルバドル → エル・ポイ → 
ホンジュラスへ
ラ・エントラーダ → コパン・ルイナス → ラ・セイバ → 
ウティラ → サンペドロ・スーラ → 
ニカラグラヘ
23:59 | 旅(中米、カリブ編) | comments(4) | -| - |
チキンバス狂想曲
山から谷へ 西ヘ東ヘ
チキンバスが かけめぐる。

一つの椅子に 三人座り
屋根の上では 家畜がブーブー。

崖から 落ちても何のその
反対車線を ブッちぎる。

昨日の悩みを 今日は忘れた
今日の悩みは 明日にお預け。


余談

チキンバス。
グアテマラ移動手段の雄。
見た目はスクールバスのデコトラ版といった趣。
客を市場で売られるチキンのように
すし詰めにするところから、命名されたらしい。
運転手の気性は荒く、二人一組の相方は驚くほど良く働く。

グアテマラルート覚書。
フローレス → ティカル → コバン → グアテマラ・シティ → 
パナハッチェル → ケツァルテナンゴ → サンタマリア火山 → 
ムエラ → アルモロンガ → ロス・バーニョス → 
サン・ミゲル・トトニカパン → サンアンドレス・シェクル → 
パレスティナ・デ・ロス・アルトス → モモステナンゴ → 
サンフランシスコ・エル・アルト → サンティアギート → 
サン・ペドロ・ラ・ラグーナ → アンティグア → グアテマラ・シティ → 
エルサルバドルへ
23:59 | 旅(中米、カリブ編) | comments(5) | -| - |
ケツァルテナンゴ
みんなにすごい尊敬されていたり、慕われている人が
自分では、そんなつもりはなかったりすること.

若いうちは 勝手に無理したり無茶したリしても
自分にしか迷惑がかからないからいい とか
心配する人なんかいないという 風に感じたりすること。

いろいろそんな感じのことはあるようですが
意外とそんな感じはないように思います.


みんなお互いに
意外と尊敬してたり、心配しているものだと思います.
人は鏡なんだ。と 母によく言われた事を思い出す。

良かれ、悪かれ 人は人に大きな影響を与えます.
いや、悪いなんてのはそんなにないのかもなあ

ようするに この社会に属していながら
独りだな んていうのは 甘えなのかも
と 感じたケツァルテナンゴでの17日間でした.
23:59 | 旅(中米、カリブ編) | comments(6) | -| - |
ティカル
変わること。
変わることはたくさんある。
人も変わる。それは細胞レベルではもちろんのこと。
考え方や意識も、顔だって変わると思う。
一見、ネガティブに捉えられがちな このこと。
僕は悪いと思わないし、この旅でドンドン変化したいと思う。

変わらないこと。
だけど、やはり変わらないこともあるようだ。
今まで生きてきて、うっすら気づく。
輪郭が少し変わっても、芯が不変的なこと。

変えないこと。
最近、この存在が気になる。
ティカル遺跡の頂上から見る景色は、多分ずっと変わってない。
果てしない 空とジャングル。
そう 思った。
周りの環境を変えないことの凄さを感じた。
デザインでも建築でも、変えないこと が一番難しいのかもしれない。
変える必要がないものをつくる とも言い換えられるのかな。

うまく言えず 抽象的ですね。すみません。


余談

動物番組とかで、アリが葉っぱ運んだりする映像見たことありますか?
行列で、赤くて大きい軍隊アリがやっているやつ。
確か ハキリアリ。
僕は、初めて生で見ました。
そして、本当に自分より大きな葉っぱを運んでました。

一番びっくりしたのは、実は何度も転ぶこと。
葉っぱを何度も落とし その度に拾って運ぶのです。
えらく感動しました。
そして、担ぎ方に個性があること、
縦バランス絶妙派、水平ベリーロール派、強引引きずり派。

何にもしてないサボり組がいることも何だか感動しました。

23:59 | 旅(中米、カリブ編) | comments(2) | -| - |
フローレス
25歳のクリスマスを過ごしたまち。

世界にはいろんな記念日がある。
何でそんなものが あるのかと考える。

去年の正月気づいたこと。
人はうっかり屋さんで、すぐに大切なことを忘れるから
節目の日をつくったのだろうと思った。
誰かや、環境に感謝する日。
過去の失敗に目を向ける日。
未来へと思いをはせる日。
素晴らしいことへの感謝を思い出すために
今でも そう思う。


グアテマラという 国のほとんどの人が、
カトリックのこの国で過ごしたクリスマス。

そんなに大きな町ではないので
北、中米のほかの国々より 飾りやイルミネーションも少なく
まあ、こんなもんかと 思っていた。

ところが 12時を過ぎた途端
爆音が鳴り響きだしたのだ。
町中のあちこちから 花火が上がり、爆竹が鳴り響く
360°の花火に囲まれて みんなが騒ぎ出す。
祭りであった。

僕は クリスマスの意味合いには詳しくないけど
何というか その日をみなが 待ちわびて その日を確認して
その日を過ごすことによって 日常の生活の一日と
差別化しているということを キチンと感じれたのである。


日本の最近の祝日は悲しいと思う。
ハッピーマンデー法ができて 祝日は土日に吸収される。 
おかげで 祝日の近くはみな三連休になる。
連休になれば行楽に出かける人も増え、消費も上がり
経済効果が上がるのかもしれない。

祝日が、なんでその日があるかなんて 考えもしないで過ごす、
みんなで 単に休む日になっているのである。
今、勤労感謝の日や敬老の日を言える人が どれだけいるのだろう。
その日の意味合いを考えて その日を過ごす人が
どれだけいるのだろうか。

昔の 飛び石のようにある祝日が好きだった。
カレンダーを見て 赤い色の日が 忽然と週の真ん中に現れる。
そのたびに 小躍りしたものだった。
そして、何で 休みなのかキチンと考えていたものだが‥

10月10日が 晴れの特異日だから出来た『体育の日』
日にちが変わったら 意味なんか何にもないと思う。
地球規模の異常気象が騒がれる今。
10日が 晴れの特異日でなくなる日も近いのかもしれない。
何だか 皮肉だなと思う。
23:59 | 旅(中米、カリブ編) | comments(3) | -| - |
ベリ−ズ シティ
空は青色 葉っぱは緑色 空気は透明だ。
全部、本物だ。

アメリカ払い下げのスクールバスに乗って 
メキシコから 一路 ベリーズヘ
中米で唯一の英語圏の国で、バクがいる国。

バスの中は レゲエが鳴り響く
なんだか 遠足を思い出す。
バスも教室でも いつも後ろの席だった。
ベリーズのバスも 後ろの座席は居眠り多し…


余談

ベリーズはバクが国獣らしい。
バクは嫌な夢を食べるといわれている動物。
バクの嫌な夢は誰が食べてあげるのでしょうか?

ベリーズルート覚書。
ベリーズシティ → ダンリガ → ベルモパン → サン・イグナシオ 
グアテマラへ
23:59 | 旅(中米、カリブ編) | comments(0) | -| - |
ハバナ
メキシコのカンクンからビュ−ッとキューバのハバナへ
カストロさんの病状次第で 今後行けなくなる可能性を思うと
今しかないと 行ってきました。

ハバナでは、ラムが飲めればいいなぁ などとのん気に行きましたが、
やはり、社会主義の国、アメリカと国交のない国 いろいろ考えさせられました。

キューバには通貨が二種類あります。
cuc(金持ちと外人用)とcup(地元民用)。
レートは固定で1cuc=24cup(2006年12月20日現在)
もちろん、お店もそれぞれ用に、二極化の傾向が強い。

例えば、空港から町の中心部へのタクシー代が20cuc(米ドルでまあ20ドル弱)
これは キューバ人の平均月収にあたるらしい。
で、地元の人のバスに乗ると(旅行者は基本的に乗っては駄目らしい)
1cupで町まで行けてしまう。つまりタクシーの1/480となる。

こんなことって あるのかと思ってしまう。
生まれた国の経済力の格差は アジア圏の国でも感じてきた。
でも、こんな風に お金が分けてあって露骨な体験は初めてだった。
まるで、世襲だな と思った。

通貨の力は本当に怖い。国が変わり、両替する度に感じてしまう。
なんだかんだでドルはすごいし、ユーロの伸び方は脅威だ。
この世を 支配してるものって何なのか?
政治?経済?宗教?
この世はあまりにも大きすぎる。

僕は、生まれてこの方 甘い汁を吸って生きてきた側の人間だから(日本国民という意味で)
正直、そのことを失ってしまうことに 純粋に恐怖を覚えるのも事実だ。
だって、世界をまわることができるのも その恩恵のひとつだし…

日本円で数十円の食事を食べ、日本円で数百円の宿に泊まる度に
地元の人に日本からの航空券の値段を聞かれ、ため息を聞く度に
僕は どんな顔をすればいいのか、どんな感情をもてばいいのか
本当にわからなくなる。

でも 明治維新のころの日本を思う。
鎖国、島国ということから生まれた 欧米との経済、産業、軍事力格差。
三百年という徳川幕府がつくりあげた 内政の腐敗、堕落。
だけど、そのことが爆発的な発展を遂げたこと。
太平洋戦争後の日本と 今、現在の日本の国民の生活水準の落差。
努力で世界は変わるのか?運なのか?

何だか、世界の平和とか平等とか考えると やはり途方もない。
とんでもない天才による独裁政治が一番いいのではなどと 思ってしまう。
民主主義の舵取りをできる人なんて 本当に限られてるとも思う。
人は増えすぎてしまったのだろうか?
有史以来の 長期的平和なんてありえるのだろうか?
そもそも 平和ということも曖昧だ。
戦争がないことをいうのか?
弱肉強食がない社会に未来はあるのか?
人だって 多くの生物の犠牲の上でしか生きられないのだ。
退化も進化も 紙一重だ。

あーでもないし、こーでもないのだ。
結局、いつもと同じ結論のないいたちごっこ。

最近、書いてることなんて言葉は変われど 中身はみな同じ。
現実的かつ生活に密着した問題を抱えている人から見れば
甘っちょろい 机上の空想のおままごとなんだろうか?
でも、悩みの大小なんて、デジタル化できない。比較もできない。

どこにいても、どんな時でも 人間なんてものは悩むのが宿命の生物なんだ。
その状況、状況でそれなりに悩む。
それは どうやら確かなようだ。
旅に出てれば、旅人なりに悩む。
悩む総量は結局変わらない。
でも それが何かのエネルギーになっているのも事実。
考えることで 動く。何かをすることになる。
それは、昔にはつかめてなった感覚である と思う。

絶望的な状況、困難を抱えながらも
希望的観測を持ちながら 動ける人は強いのだろう。
胆力を持った人。
23:59 | 旅(中米、カリブ編) | comments(0) | -| - |