(株)斎藤模型

『我、思う故に我在り』 自分の存在している証というものは、
自分が考えていることそのものである。
日々、思い、感じたことを言語化するということは、
自分を客観的に見るという意味でおもしろいのではなかろうか。
そして、それがある程度は公的な場であるということで、より整理されていくのではないか。
自己満足的で、自己処理的なブログというメディアに参入する上での宣言文。
平常心をモットーに生きる。
連絡先は saitomokei@hotmail.co.jp
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ゴーゴーミャンマー!
ミャンマーいってきます。

テーマは 

『行ってみなけりゃ分からない。』



『動いている人間は強い。と最近思う』

です。

mawn-home.com/

しばらくの間、留守にします。↑ご覧下さい。



23:59 | | comments(2) | -| - |
東海道中5
ブログという 極めて利己的な文章をでさえ
自分で 書いていて 何言ってんだろうとか。
矛盾だらけとか うそ臭いと思う ことがある。

だけど そういうことを 思いつつも途中で止めずに
1度でも思ったことを体系化していく(自分なりに)ことが
重要なんじゃないか? と 思う。

それで できあがったものの集合体が 矛盾で満ち溢れ
あちらこちらにベクトルが向いていたとしても
そういうものを 内包するということが
自己を形成するということなのではないか。

それが人という 宇宙になるのかと思う。


余談

熱海以降、快速が存在しない東海道線内で
思ったことを、いくつか個条書きで書いてみた。
土地のことには 全然 ふれてないや。

23:59 | | comments(1) | -| - |
東海道中4
建築





感受性応答セヨ


ロック。

今の日本で こんなに無骨で骨太なものに一日で二つも出会えるとは。


余談

土地とか場所には、その土地が持ってるパワーとかあると思う。
ボルテックス とかもきっとそういうことなんだろう。
山がいつも見える場所で育った人がうらやましい。
そのくらい 山って力があると思う。
東海道線から見える富士山は とても強かった。
23:59 | | comments(1) | -| - |
東海道中3
話とか文章って、筋道があって論地的な方が良いのだろう。
それは、きっと人間が言語とか文字とかでコミュニケーションを
とることを得意としていてるし、
まあ 物事を正確に伝えるルールというか知恵 ともいえる。

だけど、個人レベルでの思考とか、
頭の中はもっとグチャグチャなはずである。
そのまんま吐き出されても なかなか
第二者以降の人には 理解しがたい。
だけど、そういう状態の方が、
個人のメッセージとしての
純度が高くて、共有出来たときの気持ちよさは
高い気がする。

それは、日常でもちょくちょくでてくると思ってて
コミュニケーションとか、芸術とか、お笑いとか、建築とか

わかるやつだけ わかればいいとか
わかりにくくしたいとかではなくって
そうなると 少し話が変わってしまうのだが
言葉にしづらい 何かを ぶつける手段って
やっぱり 必要で

そういううのを(送り手の意思を100%
受けれられてるかは分からないけど)
感じた時は いいもんだ。

情熱の純度を落とさずにぶつける手段と
分かりやすく 物事をつたえる手段。
思い切り矛盾してるが 持ち合わせたいものだ。
23:59 | | comments(1) | -| - |
東海道中2
道で人とすれ違う時に
同じ方に避けようとして、ぶつかりそうになって
また 避けようとしたら、
相手もそうして またぶつかりそうになったり
たまにありますよね?

あれって 気が合わないなあ とか思うけど
避けようっ!て思う方角が 同じなんだから
実は 気が合う相手なのでは?
と、思ったりもする。
でも それは向かい合ってる場合の話だから、
肩を並べて、歩いた場合は向きが逆になるから
やっぱり気が合わない という事なのかな?

そんなことってどうでもいいじゃない?って
思う訳で、実際その程度の事なんだと思う。
だから、みんな まちでぶつかりそうになったくらいで
そんなにカリカリしなきゃいいのになあ と思ったのです。


余談

ずーっと 歩いていると
頭の中が、ポーッとしてきて
いろんな事が考えられる。
あの作用とか感覚ってすごくイイと思う。
今日も駅までは歩こう。
23:59 | | comments(3) | -| - |
東海道中1
美しい ってすごい抽象的なんだけど
やっぱり 生きていくうえで大切なんだと切に思うこの頃。 
美しいを見ること、
美しいと思うこと、
美しいと言うこと。

だけどさ 後付けで手に入るものだけに
美しさを依存し過ぎなのではないかな… 風潮として
要するに 取ってつけたような装飾的なことに。
メディアでチヤホヤされてる美とされるモノ、ヒト、デザイン。
まあ 個々の価値観といえば それまでだけど…

この世界には もとから美しいものがたくさんあるし、
そっちを 残したり、大切に使ったりする事の方がマトモじゃない?
自分の生き方とかに 美しさを求める事の方が
健全であるのではないかと思います。
まあ これも時代背景からでる 今風な発想っぽいが…

ただ
人に迷惑をかけるような 生き方は美しくない。
と思う。


余談

少し前に、久しぶりに18切符で旅をした。
今年の春は、JRグループ発足20周年だから5枚で8000円!
つまり、1日1600円也。
23:59 | | comments(2) | -| - |
旅のかたち2
   『旅に病み 夢は枯れ野を 駆け巡る』
                松尾芭蕉の辞世の句

人生とは移動の連続であり、旅なんてのはそれの延長であり
その人が生きてきた空間体験の蓄積が、一本の線が、人生となる。
実体験に基づく経験は強烈だし、五感もフルに使った体験は
記憶が 臭いや音、いろいろなものと混じり合い、細胞に染み込んでくる。
苦労も多い分、体験の固有性も高い。

しかし、これは何も遠くに行くことだけが 旅ではないと思う。
つまりは、普段の自分の生活圏内でも 工夫次第では、充分刺激的だ。
というか 東京なんて面白い事だらけだ。

そして、思う。現代だからできる旅の可能性。
インターネットやテレビ、MP3とかさ、 
これも旅なんだよな きっと。
つまりは 画面の向こう側も経験、さらに言えば、人生の一部として
捉えられるのではないかと…
何か、今までのご先祖さん達とは 確実に違うものがあるのだ

個人ではなかなか 行けなかったり、見れないものが見れる。とか、
地球の裏側の人と 等価に対話ができる。とかね。

今までは 一本の道にに対して 本とか、絵で仕入れた世界観や刺激が
支流のような細い線であったとすると
今は 割としっかりした 道がいくつもはえている。
何だか 同時多発的に進行しているようなイメージがある。
だけど それは普通の旅とは違う影響がある。

いいのか悪いのかは わからないけど
とっても すごいことなんだろうなあ。


余談

この間、池袋でネパール人の旅人を見た。
彼は自転車で旅していて、何やら道に迷っているようだった。
思い切って 声をかけると
このレストランに行きたいのだ。と紙を見せてくれた。
何と それはカレー屋(本格インド風らしい)のものだった。
みんな異文化に入れば 故郷のものが恋しくなるのだ。
しかし、カレーとはあまりにもイメージ通りで、感動してしまった。
そして、人はみな同じのなのだと思うと 
笑いが止まらなかったのである。
23:59 | | comments(3) | -| - |
京都
最近、見たい展覧会をことごとく逃してる気がする。
インゴ・マウラー展、パウル・クレー展、小さな骨の動物園展とかとか
そのうち行こうと思ってたら 終わってた。
(早くしないとゲド戦記もおわっちまうよ、前売り券が無駄になる)
しかも、あの時期はけっこう時間はあったはずだし 何してたんだろう? 
行動力が落ちているのは とても寂しいことです。

もっとアクティブに
『ハイパーアクティブ』は六年前の年間目標。
それを 思い出す。思い立ったら吉日。

てな 訳だけではないけど

ザ・クロマヨンズのライブ見るために帰って来ました。
フロム イラン。

だって、ヒロトとマーシーの新バンド。
ライブハウスは下北沢のシェルターで
クロマニヨンズの初ツアー初日 これだけで帰ってくるには充分な理由です。


♪ わいタリホー さめタリホー
  氷もほっときゃ 流れるぜ
  あれはカモメか 翼の上か
  そのまま長い堤防か
  形は変わる 自分のままで
  あのとき僕は ああだった ♪

                    ザ・クロマニヨンズ 「タリホー」 

タリホー(初回生産限定盤)(DVD付)
タリホー(初回生産限定盤)(DVD付)
00:31 | | comments(2) | -| - |
ヤズド
ここ、ヤズドにはゾロアスター教の人たちがかつて鳥葬(風葬)に使っていた
沈黙の塔とよばれる、岩山の上につくられた塔があります。
(50年位前から法律で鳥葬が禁じられて今は使われていない)

死体を土葬したり、火葬することは
火、水、土を神聖なものとする ゾロアスター教徒にとっては
土や火を汚すこととなるため、亡骸を山の塔のてっぺんに置いといて
鳥が肉を食べ、風化するのを待つ鳥葬が行われていたそうです。

他に人もいなくて 僕以外生き物も見当たらない。
塔の頂上の静まり返った穴の中にいると
僕の、この地球上における存在がよくわかる。
それは、横に転がっている石ころとなんら変わりはない。

宇宙という大きな川の流れの前では、人も石も
鎖のワンピースにすぎない。

都会にいると、人は勘違いをします。
自分が何か特別な存在であるかのような錯覚を抱いてしまう。

穴の中で寝転んで、目を閉じて、
自分が死んでしまって、鳥に食べられ朽ちていく姿を想像する。
時間なんてものが存在しないような 気分になる。
しかし、時間が止まっているのではなく
これが、本来の地球の時間の流れ方なのでしょう。

明日はテヘランに そして日本に帰ります。
混沌と混乱の世界へ。そして、この感覚は薄れていきます。
しかし、人にはこうした精神の生まれ変わりとも言える行為を
定期的に行うことが大切に思えます。


21:19 | | comments(0) | -| - |
エスファハーン
時間を経て 風化され、分解されて、朽ちていくことの当たり前さ。
僕はその過程に美を感じる。
それが、あらゆる物体の真の姿に思う。

キレイ、清潔、ピカピカしているものが絶対的に美しいわけではない。
ボロくて、古いものでも 時間を受け入れているものは美しい。

それは生き物でも、建築でもそうだと思う。

ハシュト・ベヘシュト宮殿という300年位前につくられ建築。
イランに入り、もっと古かったり、立派なモスクや建築もたくさんありました。
しかし、僕はここの空間にとても魅かれました。
ちょっとぼろいこの宮殿に
「建物は使われて、朽ちていくことは悪くないことなのよ。」
と教わった気がします。


21:56 | | comments(0) | -| - |